低い自己肯定感(自尊心)を高める画期的な方法

「自己肯定感が低いのは憂鬱気質が原因かも?」生きづらさを感じている人必読!!自尊心回復方法の決定版!!

7/7 自尊心の低い私が自力で出した結論!!

変わろうとするから変われない。
変わらなくていいと思えば自ずと変わってゆく。

 

このブログは全7回で完結する自尊心回復のプログラムです。
順に下層ページを1/7~7/7まで読んでください。

 ※7ページは長すぎるという人のために、切り口を変えた気質学の1ページをアップしました。是非読んでください。

明るく積極的=⭕️、内気で引っ込み思案=✖️は大間違い!

 

 

 ●明るい性格が「良し」とされるのは最近のハヤリ。

近年は明るく社交的な性格が善で、内向的な性格は悪のように思われている。それは最近のお笑いブームのせいなのか?それとも、日本が第三次産業に移行して、あらゆる分野でコミュニケーション能力が求められる様になったからなのか?理由はわからないがとにかくここ最近の事だ。

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憂鬱質は慎重だ。言葉にするにもよく考えて言葉を選んでから口に出す。あるいは口に出さなかったりもする。この特長は社交的には見えない。内向的に見える。

ちょっと前までは、女性はおしとやかが良しとされ、男性は無駄口をたたかない人が良しとされていた。私の祖父の頃はそうだった。その時代なら憂鬱質はむしろ理想的な性格という事になる。真面目で、勤勉、勤労、そして言葉を慎重に選び、無駄口はたたかない。深くて鋭い洞察力から生まれた意味のある言葉を発した。だからたまに口から発せられる言葉に重みがあった。こうした性格が良しとされた時代が確かにあった。

それがたった三世代後には、社交的で、よく喋る人が評価される時代になった。これは憂鬱質とは真逆の多血質の特長と言える。いわば現代は憂鬱質不遇の時代と言えるのだ。つまりこれは一種のハヤリだ。今はただ憂鬱質がハヤリではないというだけで、憂鬱質が絶対的にダメだという訳ではない。また次の時代が来たら状況が変わるに違いない。

こんないい加減な時代のハヤリに振り回されるのは馬鹿げているしハヤリに合わせて性格なんて変えられない。少数派かもしれないが今だって憂鬱質を評価する人はいる。ニーズは確かにあるのだ。ハヤリになんて惑わされることなく、憂鬱質は自信を持って憂鬱質のままでいればいい。

●ありのままの自分ってどの自分?

「自分で自分を変えられるのか?」この疑問でいう自分とは「一体どの自分の事なのか?」という疑問が浮かぶ。

物事のネガティブな面にばかり目がいって気分が沈みがちな自分の事なのか?

それとも、沈みがちな気分を人前では隠すべきと考えている自分なのか?

前者は無意識から生まれた自分であり、後者は意識から生まれた自分と言える。どちらも自分であることは間違いないが、変えようとしても変えられない自分とは、前者の自分。つまり無意識から生まれた自分の事と言える。

つまり「自分で自分を変えられるのか?」とは「自分の意識で、自分の無意識を変えられるのか?」と言い換える事ができる。

●無意識の自分とは、何かを感じている自分の事。

気質学でいう4つの気質の違いとはそもそも何が違うのかというと、それは感じ方が違うのだ。
例えばベンチに座り、被っていた帽子を脇に置いておいたら、その帽子の上に謝って他の人が座ってしまったというアクシデントがあった場合。

  • 胆汁質の人が感じるのは、怒りだ。激しく怒りをぶつける。
  • 憂鬱質の人が感じるのは、落胆だ。がっかりし自分の運の悪さを嘆き落ち込む。
  • 粘液質の人が感じるのは、無だ。何事もなかったかのように平常でいる。
  • 多血質の人が感じるのは、愉快だ。自分の帽子がペッチャンコにされた様子が可笑しくてたまらない。

つまり気質とはその人の感じ方そのものと言える。無意識の自分とは、何かを感じている自分の事なのだ。

だから「自分で自分を変えられるのか?」とは「自分の意識で、自分の感じ方を変えられるのか?」とも言い換える事ができる。

●自分の意識で、自分の感じ方を変えられるのか?

自分の意識で、意識から生まれた自分をコントロール出来るのは言うまでもない。

例えば憂鬱質の人が憂鬱を感じていても、明るく挨拶をする事は出来る。笑顔を作る事も出来る。問題は、そもそも憂鬱を感じるのをやめる事が出来るのか?多血質のように、何事に対しても明るく楽しく感じるようになれるのか?という事なのだ。

 例えば、合コンに誘われたとする。多血質の人は「それは楽しそうだ!」とワクワクを感じる。しかし憂鬱質の人は合コンのような表層的な事が嫌いだ。楽しめない。だから誘われた時から気が進まないし憂鬱を感じる。この感じ方を、「いや多血質の人のように楽しみに感じなければ。ワクワクを感じるべきだ。」と自分に言い聞かせる事で、憂鬱が、ワクワクに変えられるのか?という事なのだ。

・・・私には到底変えられるとは思えない。

 「感情は意識でコントロールできる」と書かれた本を読んだことがある。合コンの例えで言えば、憂鬱質が合コンを憂鬱に感じるのは、合コン=憂鬱という仕組みではなく、合コン→くだらない→憂鬱というふうに間に本人の認識が入っている。だから、その認識を意識的にコントロールすれば、自ずと感じ方も変わるという内容だった。

つまり、自分にとっての合コンのいいところに目を向けるのだ。例えば、重要な出会いがあるかもしれないとか、趣味の合う人がいて有用な知識を得られるかもしれないとか考えると、自ずと合コンが楽しみになると言うのだ。

 しかしこれは多血質の人がワクワクを感じる仕組みとは全く違う。しかも1工程増えている。多血質はそんな努力なしに自然にワクワクを感じているし、憂鬱質は自然に憂鬱を感じている。この仕組みは変わっていない。その仕組みに不自然な1工程を追加しているだけで根本は何一つ変わっていない。これは自分の感じ方と付き合ってゆくための処世術であって、感じ方そのものを変える方法ではない。

 やはり私には到底自分の意識で自分の感じ方を変えられるとは思えない。辛く感じるなと言われても辛いものは辛いだろう。悲しむなと言われても悲しいものは悲しいだろう。多血質は直感的に表層的なことが好きだし、憂鬱質は直感的に表層的なことが嫌いなのだ。これは変わらない。感じ方は理屈ではないのだ。


●自分の感じ方を否定してはいけない。

意識のコントロール下にある事柄に対するアドバイスは役に立つ。いいアドバイスは積極的に取り入れて行けばいいと思うが、コントロール下にはない無意識(感じ方)の方を変える事を薦めるモノは注意が必要である。

 例えば、「憂鬱な時でも挨拶だけは明るくしなさい」という薦めは取り入れるべきだが、「物事を憂鬱に捉えるのはやめて、明るく前向きに捉えなさい」という薦めはとても危険だ。これはあなたの根本を否定する提案だからだ。

 自然に感じていることを否定的に説いている意見は、とても危険だ。感じていることこそあなた自身であり、あなたそのものなのだ。その感じ方を否定する意見というのはあなたの根本を否定しているのと同じだ。これを信じてしまうと、感じ方を変えられない、どうしても感じるべきではない感じ方をしてしまう。そんな自分を責めることになる。自信を失ってしまう。自分で自分を傷つけることになる。そうやって自尊心を下げることになる。

 感じていることには良いも悪いもない。それがあなたなのだ。感じていることを否定せずに全てそのまま受け入れることが重要だ。

 例えば最近話題の「嫌われる勇気」で紹介されたアドラーは、自由でいるために、2つのことを薦めている。

  1. 他人と自分を比べないこと
  2. 他人からどう見えるかを気にしないこと

でもこの二つはとても難しい。

 これを聞いた生真面目な人は、その二つを実行に移そうと考えるだろう。「他人と自分を比べまい。人の目を気にすまい。」と自分に言い聞かせる。しかしどんなに自分に言い聞かせたって、気になるものは気になるだろう。比べたいものは比べたいだろう。欲求も又感じていることだ。欲求を我慢したり、気を逸らしたりは出来るが「欲求を感じるな!感じるべきではない!」と言われても欲求そのものを感じなくなれるかといったら無理だろう。つまりこの二つは自分のコントロール下にないものなのだ。

 しかしアドラーの薦めを信じていると、例えば他人と自分を比べて劣等感を感じた場合。「比べるな。比べるべきじゃない」と何度も自分に言い聞かせることになる。しかし何度言い聞かせても比べずにはいられない。どうしても比べてしまう自分を否定することになる。そうやって悶々と葛藤をし続けることになる。

 そうではなくて「いやー!悔しいな!すげーなあいつ。俺も頑張んなきゃ。」って素直な気持ちを口に出してしまった方が遥かに楽になる。つまり開きなることだ。開き直って自分が感じていること全てをそのまま受け入れてしまえばずっと調子が良くなるのだ。

 重要なのはそれがコントロール下にあることなのかそれともコントロール下にないことなのかを見極めることだ。そしてコントロール下にないことは全て受け入れる他ない。そして感じ方はコントロール下にはない。だから感じていることは全て受け入れるべきなのだ。憂鬱も、嫉妬も、後悔も、意気消沈も、憎悪も、敵意も、全部そのまま開き直って口に出すのだ。あるいは書き出してもいい。

 感じ方に良いも悪いもない、いろいろなことを感じる。それが人間なんだ。それを否定してはいけない。それを受け入れ、素直に吐き出さなければあなたの中で感情が腐ってしまう。

●人は生きてさえ居れば自ずと変わってゆく。変えようとするから変われない。

私達は毎日選択をしている。その選択と実行の連続こそが人生そのモノといえる。その選択と実行の連続を迷わず行えている状態は「地に足がついている状態」といえる。この地に足がついている状態ならば、人は自ずと成長してゆくことになる。

 しかし頭で思い描いた理想の自分に今すぐになろうと考えると急に成長が止まってしまうのだ。なぜならばそれは自然の摂理に反した願望だからだ。それはまるでジャンプして理想の自分になろうとしている様なモノだ。まさしく地に足がついていない。

 「エイ!」とジャンプすると一瞬自分が変われた様な気がする。それはちょうど俳優が役になりきる事と似ている。イメージを膨らませて別人格の振る舞いをする。刑事役なら刑事っぽく、社長役なら社長っぽく、ヤクザ役ならヤクザっぽく。天才科学者や、スーパーヒーローにだってなれる。しかしずっとその人格のママではいられない。必ず本来の自分に引き戻される。飽くまでも別人格の振る舞いをすることはジャンプでしかないからだ。どんなに高くジャンプしても必ず重力によって引き戻されて、元いた場所に着地する。ではずっとジャンプし続けたらどうだろうと考える。しかしどんなにジャンプをし続けても、宙に浮きっぱなしになんて絶対にならない。疲れ果てた挙句に必ず元の場所に引き戻されるだけだ。

 ちゃんと地に足をつけて一歩一歩、歩んでいれば確実に成長出来たのに、ジャンプばっかりしているからその場から一歩も進む事が出来ない。ずっと同じ場所でジャンプしては引き戻され、ジャンプしては引き戻されを繰り返している。

 自分を変えようとした経験のある人ならこの感覚に共感するはずだ。つまり、変わろうとするから変われないのだ。

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f:id:gaikotsu-jin:20160721141246p:plain理想の自分に今の自分を変えようとすることは、言わば人生の近道をしようとしているのと同じだ。途中の自分をすっ飛ばして、理想の自分になってしまおうとしているのだ。一歩一歩着実に成長するという地道な歩みを止めて、「エイっ」とジャンプして理想の自分になってしまおうとしている。

 しかしそんな上手い話はない。そんなことが出来るなら誰もがそうしている。そしたら世界は理想的な人格者ばかりになっているはずだ。しかし実際はそうはなっていない。人間は一歩ずつしか進めないし、一歩ずつしか変われない。一歩ずつしか成長出来ない。人生に近道なんて無い。そんな横着を自然の摂理は決して許してはくれない。必ず元いた場所に引き戻される。そうやって一向に変われない自分を嘆く事になる。

横着などせずに今の自分をしっかりと生きることだ。地に足をつけ今の自分をしっかりと生きた人だけが、次の自分になれるのだ。

 

 ●人生は結果がわからないから面白い。

 もし本当に変わりたいと思うのなら、変わろうとなんてしない事だ。重要なのは選択と実行の連続だ。今自分にある選択肢はどれか?そしてその中からどれを選択するのか?自分の感覚(感じること)を頼りに選択し、実行する。ただそれだけなのだ。そしてそれが人生そのものなのだ。

 そうやって地に足をつけて、自分の感覚を頼りに毎日を選択と実行に費やしていれば、必ず人は変わってゆく。必ず変われるのだ。その選択と実行の連続の先にどんな自分が待っているのかは分からない。理想の自分とは違うかもしれない。あるいは理想以上かもしれない。結果は分からない。選択と実行までは自分のコントロール下にあるが、その結果となると、自分のコントロール下にないからだ。つまり、自分ではどうする事も出来ない事なのだ。なる様になるとしか言いようが無い。

 毎日の選択と実行の連続の先にどんな自分が待ち受けているのか・・・? それは乞うご期待なのだ。だから人生は面白い。全てが自分のコントロール下にないから面白いのだ。だから先を見たくなる。だから生きる価値があるのだ。

 

●憂鬱質が自尊心を回復させる2つのポイント。

 

1. 次やる事に集中する。

憂鬱質の特徴である慎重さの矛先は、外に向ければ長所だが、自分自身に向けると凶器となる。しかし「自分自身に向けてはいけない」と言われてもどうしたらいいのかわからない。ついつい向いてしまう。だから出来るだけ「次だ、次」と次にやるべき事に意識を向けるように心がけるのだ。

具体的には次にやることのリストを書き出し、優先順位をつけ、上から順に一つ一つ実行してゆく。そうすることで必然的に矛先が外に向く。

 

2. 陥ったら開き直る。

次やることに集中するように心がけても、ついつい矛先を自分自身に向けてしまいやすいのが憂鬱質の特徴だ。自分自身に向けてしまうと自分で自分を傷つけてしまう。そうなるとそれを修復しようと更に自問自答にハマって行くことになる。そうした悪循環に陥ったと感じたら、まずは「エイッ!」と開き直ってしまうことだ。開き直って悪循環を断ち切ったら改めて、次にやることに目を向けるのだ。

 

 

この二つだけ、頭に入れて日々過ごして行けば、時間に比例して自尊心は回復して行きます。 長々読んでくださいましてありがとうございました。このブログが皆さんのお力に少しでもなれたらなら幸いです。

 

(文:外骨仁=ガイコツジン)

切り口を変えた気質学の1ページをアップしました。是非読んでください。

明るく積極的=⭕️、内気で引っ込み思案=✖️は大間違い!